カットオーバーという瞬間

長年ソフトウェア業界で仕事をしているが,自分が携わった案件がカットオーバーとなり,一般に利用される瞬間に立ち会ったという経験は,実はあまり多くない。社内の業務システムについては納品&稼働開始の現場にいた経験はあるが,それも数えるほど。パッケージの開発の方が多かったこともあり,実際に自分が作ったものを使ってもらえているという実感を直接体感したことは,皆無に等しい。 昨年に関わった某顧客のシステム開発でも,結局途中で他の案件に移動となり,最後まで携わることができなかった。風の噂で,そのシステム開発がカットオーバーを迎えたことを知り,アクセスをしてみた。その案件は素のJSP+ServletからStrutsへの移行だったので,URLを見れば新旧のどちらかは明確だ。 URLは新しくなっていた。新システムの稼働が開始されたのだ。 プロジェクトメンバがどれほど苦労してシステム開発を行ったのか知っているので,そのシステムが無事に動いているのを見て,とても嬉しくなった。と同時に,品質向上という最も重要かつ大仕事だった部分に関わっていない自分を思い出し,何とも言えない気持ちになった。 苦労の先には達成感がある。でも,途中で抜けた僕には,それを体感することができない。 ソフトウェア開発において,カットオーバーという瞬間は最も喜ばしき瞬間だと思う。一つのものを作りきったという充実感が,絶対にそこにはあるはずだ。そのことこそが,苦労を忘れさせてくれるし,感謝もされるだろうし,次の仕事へのモチベーションとなるだろう。でも,それを体感できないのは,逆に非常に辛いことだし,悔しささえ感じてしまう。僕には僕にしかできない役割があってのことだと思ってるけど,とても複雑な気分だ。 とても大変なプロジェクトを見事に乗り越えたメンバのみんなには,ほんとに「お疲れさまでした」という言葉をかけてあげたいし,どうかゆっくりできる時間を作ってあげてほしいと思う。

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