オブジェクト指向が表に出るべきではない?

オブジェクト指向全盛時代,これはソフトウェア開発者であれば当たり前の言葉であり,その恩恵を受けている人が大半である。しかし,一般人にとってもオブジェクト指向は身近な存在であり,けれどそれはマイナスな効果を生んでいると思う。 オブジェクト指向は,情報とそれに対する操作をセットにすることが基本である。つまり,何かをしたいときは,対象のオブジェクトを探すことから始めるのである。行いたいこと,つまり関数にその対象物を渡すことから,対象物に対して関数を呼び出すという発想の転換は,今日のコンピュータの環境(OSやGUI,SOAなど)の構造に対応するためには極々自然なことだ。 しかし,それはあくまで内部的な話。オブジェクト指向が表に出てきても,必ずしもそれが自然とは限らない。 最近,親が高齢者向けの携帯電話を購入した。表示される文字も大きく,メニューボタンを押せば「電話帳の内容を見る」など,行いたいことが簡単な説明文で表示されるので,操作は簡単そうに感じる。よくかける電話番号を,ワンボタンでダイアルできるようになっているのも,特徴的だ。 ただし,基本的な発想がオブジェクト指向的なのだ。直感的とは言いがたい。 例えば,父親の電話は買い替えになったので,電話番号が変わってしまった。そこで,母親の電話に登録されている父親の電話番号を変更しなければならなくなった。母親は「電話番号を変更する」ことをしたいために,メニューボタンを押して「電話番号を変更する」という説明文を探すのだが,これが見つからない。 正解は,まず変更したい電話番号の登録を「電話帳の内容を見る」で探し,父親の電話番号が表示されている状態で「編集する」という機能を呼び出さなければならないのだ。つまり,編集対象の電話番号をまずは検索することから行わなければならない。これはまさに,オブジェクト指向である。 だが,「まず検索しなければならない」という発想は,機械に弱い高齢者にとっては思いつきもしない難しい発想である。なぜなら,「電話番号を変更したい」ということと「電話番号を検索する」ということが直接結びつくことが困難だからである。メニューボタンを押して,できることが全て簡単な文章で表示されていれば,とにかくそこから始めれば良いのだから,わかりやすいだろう。しかし,自分のやりたいことと違うことから始めないといけないことに対して,なんの知識もなしに操作することはできないだろう。 限られたUIでは,オブジェクト指向ではなく,完全な手続き指向の方が適していると思う。ただでさえ複雑なPCに関してはそのままでもいい気がするが,一般ユーザが手にする機器に対しては,できるだけ行いたいことをまず選択することができるUIにしておくことが必要なのかな,と親の携帯を見て思った今日この頃である。

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