続: コミッタは自分で名乗り出てなるものではない

コミッタは自分で名乗り出てなるものではない」の内容に関して、ひがさんを始め、多くの方々のご意見をいただくことができて、とても嬉しい。ありがとうございます。 さて、

それが何故「コードに対する貢献をしたんだから、コミッタにしてくれ」なんて発想になるのか、僕には理解できない。

これは、 「 コミッタには気楽になっていいんだよ」 - ひがやすをblog

よういちろうのblogをみると「コードに対する貢献をしたんだから、コミッタにしてくれ」っということなので、行動してるジャン最初に。好きだからこそ、コミッタになりたいと思うんでしょ。

と指摘されている通りで、「貢献してるんだからコミッタになりたい!」ということはもちろん主張していいことだと思います。「貢献」という言葉の意味が「不具合パッチ程度のもの」だとすると、僕の尺度からするとそれはコミッタになるための条件としては足りないと思っているので、rejectされるかな、と。もちろんこの尺度はOSSによって違うので答えはないだろうけど、自分の意見としては、contributionのレベルに応じてコミッタになれるかどうかが決定されるプロセスがちゃんとあったほうがいいのではないかな、ということを言いたかっただけです。 あと、説明不足を棚に上げて言うと、「自分で名乗り出るかどうか」はどうでも良くて、貢献した実績があるかどうか、という点が僕が言いたいことです。いきなりコミッタになる前に、できることってあるんだよね。それをすっ飛ばして「コミッタになりたい」と言うのは、その後の展開が「そんなこと言われても、あなた誰ですか?何ができるんですか?その前に何かできることがありませんか?」と言われてしまうと思うので、違うよね、と。 何はともあれ、文章が悪すぎた。。。反省。 「まずは貢献をしましょうね」ということが言いたくて、「名乗り出るかどうか」を言いたかったんじゃなくて、「ある程度の貢献がないとコミッタにはなれないと思います」と思うわけで、「何の貢献もせずにコミッタにしてと言うのは違いますよ」ということです。名乗り出るかどうか、が多くの人に主題と捉えられてしまったのは、僕の文才のなさの極みです。

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