目標がなくっちゃやる気はおきない

人間の行動の全ては,理由がある。その理由とは,つまり何かの目標を達成するということだ。もう30歳だが,「やらされている」ことと「自発的にやっている」ことが,ようやく自分で自覚できるようになった気がする。少なくとも20代までは,あまり何も考えずに行動してきた。

下の写真は,小学校5年のときの自分だ(中央)。

普段の練習のときは,オーソドックスな紺の袴なのだが,剣友会の団体メンバーに入ると,写真のような白に黒のラインの入った,「超かっこいい」と(当時も今も)思っている袴を着ることができた。まさに選ばれし者なわけで,当時はプレッシャーも何もないので,単純にこの袴を着るために練習を頑張った。結局3年間で剣道から離れるのだが(高校時にちょっと復活するけど),「かっこいい袴を着る」ことが僕の目標だったわけで,その目標があったから,練習を続けられたんだと思う。

中学に入ってからは,器械体操( 鉄棒の演技)に没頭するのだが,体操はほぼ完全に「やらされてた」感がある。今思えば,もっとちゃんとやっていればって後悔しているが,当時としては,顧問は怖かったし,やめたくてもやめさせてもらえなかったし,ただただ練習時間が長くて(平日:16~21時,休日:9~21時)きつかった。体育の時間ですら,他の人はバレーとかバスケとかやっているのに,僕だけ鉄棒の練習をしていたという,今では考えられない状態だった。そのおかげで,さすがに一応立派な成績を収めてるけど,僕の中では目標を持っていたわけではなく,達成感というものはあまり感じていない。

今はスキーに熱中している。SAJ1級の上,テクニカルっていう資格を取りたいという目標のもので頑張ろうと思った昨シーズンは,骨折&椎間板ヘルニアという怪我のために思うように進んでいない。でも,目標が明確なので,モチベーションも自分の中ではっきり感じることができてるし,そのために何をすればいいのかも考えることが一応できている。

では,仕事についてはどうかというと,昔ほどの明確な目標がない状態だ。技術者だと思っていたのに,今は管理ばかりだ。管理についてだって目標を持つことができると思うが,どうも自分の中ではしっくりこない。20代の頃は,何も考えていなかった分,結果としていろんなことが奇跡的にバランスが取れていたのかもしれない。じゃあ今はどうかというと,プロジェクトの中でコーディングをすることも少なくなり,顧客への説得や社内の調整ばかりが仕事になっている。目標が明確であれば,自分の志向と違うことを理由に行動も起こせるけど,そういうものが欠如しているために,目の前のことしか考えられなくなっている。その結果,楽しさを感じれないので,やる気も起きない。

・・・と言うか,きっと漠然と持っていた目標,というかビジョンが,多くの「できる人」と接するようになって,ズレて来ているような気がしている。いろんな選択肢があって,自分の目標のどれにもかすっていて,焦点を絞れないのが,きっともどかしいのだ。

これだっていう目標と,自分の実力を,客観的に見直す時期が来ているのかもしれない。明確になれば,いろんな行動を起こせるだろうし,やる気ももっと出てくるだろう。小学生の頃の自分のように。。。

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